70年連れ添った「ありがとう」と与えて貰った感謝

12月8日葬儀の日

前日夜に同じホテルで合流した

息子と娘と一緒に実家に向いました。

出棺が9時ですが、8時20分には到着しました。

祖母との対面

息子と娘は、棺に眠る祖母である義母と対面しました。

娘は涙があふれ、息子は黙って静かに見つめていました。

 

息子は、祖父母を旅行に連れて行こうと計画し、

それが無理だと分かれば、食事だけでも自分の企画でもてなそうと

9月に実行してくれていました。

介護にはお金がかかる現実は、思いまで重くする

祖父母孝行をしてくれたと思います。

そして、独り暮らしの娘を車で迎えに行き、連れてきてくれました。

感謝しています。

 

娘も毎日懸命に頑張っているなか、駆け付けてくれたのです。

当たり前と言ってしまってはいけない尊い絆です。

「よく来てくれたね」きっとそう言ってくれていたと思います。

出棺

掃き出し窓から棺を出す手順です。

部屋で持つ人と外で受け取る人と連携して出棺しました。

 

息子と娘は、実家でゆっくり会える時間が出来たことがとても良かったと思います。

この家で会えるのはこの出棺前が最後となりました。

小さい頃から遊びに来たら笑顔で出迎えてくれたお婆ちゃんは、

もうこれからはいないのです。

告別式

家族葬と言っても、兄夫婦は市役所の職員を定年退職するまで勤めた地元に密着した家族です。

家族葬とは思えない弔問客がいらっしゃいました。

祭壇の花に夫と私の連名を見て、亡くなった人の息子の嫁なのだと改めて自覚しました。

私は、この家族と同じ苗字となって生きて来て、半分以上を過ぎました。

 

義母は私を夫の人生のパートナーとして結婚を喜んでくれました。

義母が産み育ててくれたから今の夫となったのです。

私はこれから、より一層夫を大切にしなくてはならないとしみじみと思いました。

この人生を共に生きてくれるパートナーを授けて下さりありがとうございました。

祭壇の花と遺影を見つめながら感謝しました。

最後の別れ

火葬前の最後の別れに、係の人が祭壇中央の花を切り、

参列者に手向けられるようにしてくれました。

娘は大粒の涙を流しながら花と折り鶴を手向けていました。

そして、義父が義母に別れの折り鶴を顔の横に手向け

「ありがとう」別れの言葉が最後となりました。

 

義父の「ありがとう」という言葉を思い出すと

70年連れ添った夫婦の別れの言葉「ありがとう」は

ずっしりとした言葉でした。

そして、火葬が行われました。

会食を済ますと、骨を拾う事になります。

骨上げ

火葬後一つの骨を2人組となって、箸でつまみ一緒に骨壺に納める儀式です。

この世からあの世に橋渡しするという意味合いがあるそうです。

喪主の義兄夫婦の次に私達夫婦と続いて行きました。

骨壺の蓋をして布で覆い、終了となりました。

 

義兄夫婦は兄が車の運転し、義姉が戒名を持ち、遺骨を甥が持ちました。

そして、夫も自分の車運転をし、私が遺影を持って実家に戻りました。

この時も自分はこんなにも近い立場であると感じたものでした。

 

おわりに

 

お義母さん、ありがとうございました。

私もありがとうで終わる人生にしたいです。

 

その日は、大きな満月を見る事が出来ました。

戒名にも「月」という文字があり、

まるでかぐや姫のように帰って行ったのだな、

と自宅に戻る車の中で、月を見ながら2人で話しました。

 

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