年老いた親の心配に付き合う

先日、父から電話があり

「お母さんを病院に連れて行ってくれ」と言われた。

「え?どうしたの?」

電話がかかって来る時は、良い話ではない。

分からない事は私にバトンが回って来る

いつも楽しくない話が私にくる電話。

父「お母さんが、なんかどっかまた痛い所があるみたいなんだよ、

病院に行きたいと言っている。お父さんは連れて行く足が無いんだよ~」

 

と、自分の力で本当は行きたいのに、

こんな電話で頼まなきゃ行けないのは

免許返納させられたからだぞ、

何とかしてくれ

というイライラした感情を乗せて言ってくるのがわかる。

 

私「どっかが痛いって?どこ?」

と言っているうちに、父は早々に認知症の母に受話器を回わしていた。

 

母「あ、私、病院に行きたいんだけど」

私「どこが痛いの」

母「あの、腕、腕が痛いの」

私「骨が折れたとかじゃないんだよね?」

母「うん、折れてない。」

私「どうして痛いんだろう、何かした?」

母「わかんない」

私「いきなり痛いの?いつから?」

母「昨日」

私「押すと痛いの?」

母「う~ん、・・・わかんない」

私「とにかく、あとで行くから、待ってて」

母「来てくれるの?悪いね、お願いします」

という見えない相手と、一言一言に時間がかけるより、30分かけて行った方が早い事が多い。

実家に着くと柿を切って振舞う母がいた

母「美味しいよ、食べて」

着いた途端に皿に乗った柿が差し出された。

私「お母さん、包丁で柿の皮剥いて、カットも出来るなら腕、大丈夫そうだね」

 

じっと動かないでいるとあちこちの痛みが出てくる。

今、私もユーチューブを見ながらストレッチしている所だからわかる。

動かしていない筋肉があるせいで、

他の筋肉に負担が来て痛みとして出るという話があった。

何れにしても、緊急の様子ではないと判断した。

 

母は、認知症の他に

私と同じ変形性股関節症を患っていて、

両方の足を手術し、

その片方は人工股関節も入れている。

現在はどちらの足も、予後が悪い。

特に人工股関節の方の足は、

さらに酷くなってしまっていて、

頼れる足がなく、歩く事が困難でいる。

 

そして、若い頃から腰が痛く、

コルセットを付けていて、

今では私は詳しく分からないけど

脊髄の不具合もあるという。

本当にあちこち骨の痛みを感じて生きている。

 

脳梗塞の後遺症で言語障害もあり、

指の動きも悪くなった。

そして去年認知症も発症。

 

母は以前生きていたくないと私に言ったことがあった。

本当に切ない治らないモノと生きる人生。

だから、これ以上痛みが増える恐怖があるのだろう。

生きることの意味を考えるより、今に感謝したい

大丈夫と言われて安心する

私「お母さん、骨も折れてないし、

動かせるみたいだから、

様子見ても良いかもしれないよ。

昨日痛くなったばかりなら、

湿布を貼って様子見たら良いと思う。

湿布ある?」

 

母「沢山あるよ」

私「じゃあ、湿布貼ってどうなのか様子見ようか」

母「そうだね」

 

本題が終わると、

お昼ご飯を外に食べに行く気で満々だった。

車が無くて、外食に行けない両親にとって、

私のように、車で移動を可能にしてくれる人が来た時のチャンスは逃さない。

勿論、来てくれてありがとう、の意味もあると思う。

おわりに

年を取ると、あちこち痛いのが普通と思う。

しかし、既に非常に痛く感じる、腰、足がある人にとって、

もう一つでも痛くなることは恐怖なのだろう。

だから、大丈夫が聞きたいのではないか。

大丈夫だと言って不安が消えるなら言ってあげればいい。

医者じゃなくても出来る事ではないか。

大丈夫の大盤振る舞いをしてあげたらどうだろう。

眠る前にそう思った。

一方の私は、

結局、病院に行くことになるでしょう。

という予報を出していた。

 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

ランキング応援頂けると励みになって嬉しいです。

宜しくお願いします。

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村

年の差10才散歩道 - にほんブログ村