夫のターニングポイントを振り返る

2019年3月定年退職し、仕事上で知り合った方の後継者として推薦され新しい職場に2021年転職しております。

現在は新しい仕事に転職して充実した日々を送っていますが、現職中の仕事を辞めてしまいそうだった頃のエピソードがあります。

夫のターニングポイントを振り返る

定年退職を迎える随分前に、仕事を辞めても仕方ないという状態の時期がありました。

適性でない部門を担当した頃が夫のターニングポイントだったと思います。

私は夫は取締役となり会社経営者側として残る道筋を持つ人だと思っていました。

(ニュアンスが伝わるかわかりませんが、そうなるだろうという仕事が増えていました)

しかし、自らその道を変える事になる事態が起こりました。

夫はリーマンショックの頃に閉鎖した事業所の社員の人員整理を担当しました。

説明会を開けば、意見をぶつけられたり経営者側の立場にとても苦しみました。

社員は別事業所に異動ということでも遠い事業所なので退職せざる得ないものでした。

夫はその頃仕事の山場だったと思います。会社から暗い顔で戻るようになりました。

労使交渉は疲弊させていきました。人を辞めさせるという決定的な刀を持つ者が、その刀に自ら傷をおってしまうという状態でした。

会議では声が出にくくなり、風邪もひいていないのに痰が絡み、耳を手で覆ったように聞こえにくくなるなどの症状が出たのです。私はメンタルの影響が疑われる体調不良だと思いました。

夫は耳鼻咽喉科など随分回りましたが、何ともないと繰り返し言われるのによくなりません。

これは耳鼻咽喉科じゃない・・・。メンタルヘルスだと確信しました。しかし、夫はショックを受けるに違いなく言い出せないでいました。

人を辞めさせる事を淡々とできる人ではなかったのです。

その辛い様子から、まだ子供が学生でしたが、「仕事を辞めても良いよ」と私は夫に伝えました。

私は本気にそう思っていたので、夫の両親には早めに知らせておいた方が辞めやすいと思い電話をしました。

「体を守るため、仕事を辞めても良いと考えています」と言って夫を守る宣言のようなつもりできっぱり言いました。

両親は驚き反対していましたが、それは当たり前の反応と思っていたので何とも思いませんでした。

メンタルヘルスと会社

夫がどんどん沈んで行って私の手の届かない深い悲しみの沼の底に落ちて欲しくない、その想いが第一でした。

抵抗があるかもしれないけれど夫にメンタルヘルスを勧めました。

紹介で都内の大学病院を受診し薬物投与しながら月に一度は病院に行くという名目で有給を取りなさい、と医師に言われました。

病院の帰りに「ちょっと足を延ばして、神社仏閣に立ち寄ったりして癒していた」と元気になってから話してくれました。

それでも暫く良くなる感じはありませんでした。

会社での仕事の状態が変わらないから当たり前かもしれません。

「辞めても良い」と言われても辞められない真面目な夫を救うのは、

もう会社にこの状態を伝えるしかないと思いました。

夫が嫌がっても、夫を守るために私が話に行っても良いとさえ思いました。

夫も現状を変えるには自分が伝えるしかないと思ってくれたようでした。

夫は出しゃばりな妻の出番を作らせることなく、メンタルヘルスの病院に診断書を書いて貰い、今の仕事の見直しを願い出ました。

ここがターニングポイントだったと思います。

ここで会社に公表しなかったら地獄の生活のままだったかもしれません。

出世よりも適性の仕事

実はそれと交換に、将来の経営者側になる道も自ら閉ざしました。

経営者側の取り組みが難しいと訴えるわけですからそういう事です。

仕事内容は精査され、採用担当の方に傾いていきました。

どちらかというと夫の得意分野です。

今があるのはここで切り替えたからです。

お陰様で継続して定年退職まで無事迎えることとなりました。

夫は、今も「辞めて良い、と言ってくれた事が嬉しかった」と言ってくれます。

そう言ってくれますが、こちらの方こそ、

「よくぞ辞めないで乗り越えてくれました。本当にありがとうございます」なのです。

だから定年退職後の仕事は本人に任せるのが一番だと思えたのです。

出世よりも適性の仕事にシフトすることが定年退職まで走り抜けられたポイントでした。

退職後も仕事を持つなら向いている仕事であることが、心の平和と健康を守ってくれるように思います。

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

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