実家の片づけは、物が無かった経験を尊重する

今日は、実家で同居している弟がお休みだったので、

一緒に実家の片づけをするために行って来ました。

戦中戦後経験者を相手にしていることを忘れない

父は、昭和13年生まれ84才。

戦中戦後を経験しています。

そのため、物を捨てる事ができない世代です。

 

以前断捨離を試みた時に痛感しました。

戦後生まれの私のように、物に不自由してこなかった世代が、

物を少なく生きた方が楽だよ。

と言っても無駄です。無駄なのです。

老夫婦の断捨離について、私の考え

 

仕方ないです。

私達には空襲や防空壕など、語り継がれている歴史ですが、

父には人生の真実の1ページ。

子供時代は、戦後の物が無い時代を強制的に体験させられたのです。

 

だから、無理な断捨離は絶対失敗の素となります。

サイズが入らないから無理だよね、

など理由を見つけられたものは捨てられます。

 

しかし、単に量が多いから減らしましょう、

という戦争経験ないの世代の断捨離を受け入れるはずがありません。

 

老親の整理に大切な事

 

捨てられないモノによって、怪我をするようなことがないこと。

捨てなくても良いとし、安全優先にモノを移動させて、生活エリアを広く使うことを最優先させる

それだけで良いと思っています。

差し当たり、本日は使われていない椅子3客とテーブルを外の納戸に移すのが目標です。

力仕事なので、弟がいないとできませんでした。

大きな透明ビニール袋に入れて保存したので、

父の怒りに触れずに済みました。

認知症の母にはこんな会話をする

母の方は、私が次々発掘してくる洋服の見張りをしていました。

私が「この服もういいんじゃない?」というと、

母は「家で着るからそのままにしておいて」というのです。

 

わかるよ~、家用ってやつですね。

でも、ズボンのチャックしまらないのは、マズいんじゃない?

「チャック開いてますよ~って女性が言われるのどうなの~?」と分かりやすく笑わせる。

すると母はズボンを履いてみながら、

「あ~、閉まらないのはマズイね~」と笑った。

 

私が「ありがとうと言って捨てたら良いんだって」と言ったが、

それでもお気に入りだったらしく、捨てたくなさそうだった。

「それ、良かったもんね、でも、チャックが上がらないのはヤバいんじゃない?」ともう一言。

「うん・・ヤバいね・・」と笑って手放していた。

認知症の人には特性を活かす整理をする

何だか、自分の歴史まで捨てるような気持ちになるのを他人を通して感じた。

今日は、二つのプラスチック整理ケースを開けた。

ほとんどの物を捨てようとはしなかった母。

 

私が、今まで分からなかった存在(化石)の発掘をしなかったら

見つける事も無かった服だと考えると、

全部処分しても困らないだろうとイメージした。

 

その中で、サイズがあきらかに合わない、シミ、色あせなどがあったら

「これ、洗って来るからね」と言って、

持ち帰って捨てる事を考えます。

その効果はてきめんです。

 

母にとっては無くても困っていなかったもの、

ということは、シミなどあったら処分して問題ないのです。

物を失う不安と欠乏の執着が発見したことで湧き出ただけです。

 

母は目の前の物はその場で捨てる判断できない。

ならば、私が一度引き上げてしまえば、

また目の前から消え、無かったのと同じとなり生活は変わりません。

 

戦中戦後を体験した認知症の人の片づけのポイント

 

目の前のモノをその場で捨てようとするのではなく、

一旦家族が洗濯するという名目で引き上げ、

使えるか処分するか考えて整理する。

そもそも無くても生活できていたので問題ない。

おわりに

認知症独特の特性を効果的に活かして、

少しずつ地層のようにため込んだ、

化石化した服やモノから解放し、

安全に暮らせるスペースにしてあげたいと思います。

参考になったら幸いです。

 

 

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