友人のお知らせ
午後から、友人に会ってきました。
友人との出会いは娘の友達のママだったので、ママ友からです。
しかし、もう20年も超すお付き合いなので、もはやママ友ではありません。
私にはとても貴重な友人です。
新しいカフェを見つけたので行こうと言えば、喜んでお互い応じ合う仲です。
そして、コーヒーを飲み始めて暫くして、
「実は、娘が先日の大安に入籍しました」と思いがけないお知らせをしてくれました。
「え~、本当?おめでとう!」と言いながら、あのお嬢さんなら順当なお話だなぁ、とすぐ思えました。
「でも、色々心配なのよ」と友人は続け
「彼は就職してから辞めてしまって、最近やっと社員として決まったの」と言っていました。
ん?つまり、ちゃんと就職して仕事を決めて結婚したわけですから全く問題ないです。
友人は、自分のご両親、ご主人のご両親を見送り、お嬢さん2人とも送り出せたのです。
もう、自分達の責任はどこにもなくなりました。
尊敬する形です。
自分の子供が浮かぶ
「よかったね~」
ふと、自分の子が2人ともそういった相方と新しい道に進んで行くという姿を見ていない事に不安に感じました。
息子は結婚するつもりないと大学入った頃から言って今もそんな感じです。
娘は彼氏さんがいるようですが、どうなんでしょうか。
母であるからか、できるだけ私達の代わりに守り、助け合ってくれる相方ができますように、と願ってしまうのですね。
本人たちにも自由があるというのだけど、病気などの思いがけない事にも寄り添ってくれる特別な人が手助けしてくれたら幸せだと思ってしまいます。
今は今の考えがあると言いつつ、生身の体は今も昔も変わらないですよね・・。
これからの予想できない家族の在り方
新しい家族関係が生まれようとしている新時代と言われています。
それはどんな世界なのでしょう。
子供を持つ人子供を持たない人、それぞれが楽しく生きる関係。
子供を持つ家族を取り囲むように持たない家族も一緒に住んだり、血の繋がりもない元気な老人が赤ん坊をあやし、赤ん坊と留守番する・・。
色んな多様性のファミリーの在り方さえ想像を超える姿になるかもしれない。
私は昭和生まれの硬い頭をどれだけ柔らかくして、子供の選択を「よかったね」と言えるのだろうか。
出来れば、私の許容範囲内で愛で満たされた幸せの中にいて欲しいと願っています。
人生劇場は登場人物の数だけ舞台がある
そういう意味では、夫の母のみ見送りましたが、それ以外はこれからの私達。
重く思うのではなく、私の人生劇場の登場人物はまだ、1人1人は出演中というだけのことです。
その人生劇場は、登場人物の人数分の舞台があって、同時に展開されていて、時に中央にある私の舞台と繋がる橋を渡ってきて登場するだけです。
私の舞台は私の舞台として独立している事を忘れないようにしたいです。
それぞれの舞台は聖域のように普段は見る事が出来ない。しかし、同時進行で展開されている。
これが私達の世界なのかもしれません。
つまり、私は私の舞台にだけしっかりこなせば良いという事じゃないかと・・そう思いました。
ちょっと、家に帰ると重い気持ちがありましたので、
チョコレートを食べて元気を出しました。
どんな時も美味しいです。(リンツのリンド―ルチョコレート)
おわりに
心配することじゃない。
先の未来は楽しみに待つものです。
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