生きる事の意味を考えてしまう母の言葉
実家へ煮物を届けた時、玄関をあがり居間に行くと、母が首までこたつの中に入っている状態でした。
母は両脚が悪く人工股関節で身体障碍者であり、腰も悪くコルセットが手放せません。更に認知症も認定受けています。脳梗塞後遺症ではっきりした発音はできず、器用だった手もゆっくり動かしての暮らしをしています。
寒く感じてどんどんこたつの中に入って患部を温めたくなったのだと思います。
以前、母は「もう生きていたくない」と電話口で言ったことがありました。
歩行も自由でなく、身の回りの事も十分にできないし、楽しみなど一つもない。
いつまで自分はこんな不自由を感じていなければならないのだ。
そのような思いが凝縮していたようでした。
母は料理上手で手の込んだものを一生懸命作ってくれた人でした。
栄養を考え、カルシュウムが大切、緑黄色野菜をたくさん取るんだよといつも色とりどりの食卓でした。
季節の物を食べると良いのよ、と言ってくれていました。
そんな母は今、食事を作る事もできません。正直ショックです。
母の事だから、時間がかかってもゆっくり何時間もかけてでも作り続けるイメージありました。
母を美化している所もあるのでしょう。そうであって欲しいという願いでもあります。
しかし現実は、父が好きなお惣菜を好きなだけ買ってきているようです。
冷蔵庫の中を見ると、玉子が3パックもありました。2人で多い数ですが、調理しやすいと思ったのでしょう。
そしてワカサギの佃煮も数パックもあり「?」でした。
家に戻って思い出したことがありました。
父が圧迫骨折を起こし、骨の弱さはカルシュウム不足と思ったと言っていたことです。魚を丸ごと食べようと思っての行為だったのだろうとわかりました。
全ての人がこの世界に永遠にいられない
人間は老いと戦いながら生きるのが定めなのでしょうか。
全ての人が永遠に生きられない。それならば、楽しかったね、と終えたいと思うのに。
目の前の両親は楽しい事が何もない世界の住民のようでした。
お金はある。でも楽しめない。
それは健康じゃないという状態が原因です。
歩けば両脚が痛く長く歩けない、物を取る、持ち上げるなどとすると腰が痛い、好きだった手芸もできない。記憶さえ曖昧になってしまった。
人が老いるのは、「ゆっくりじっくりこれからは生きなさい」ということ。と聞いたことがあります。
では、苦しい身体となった人は焦りや悲しみから「ゆっくり生きる」にどのように切り替えられるのでしょうか。
実際に痛みというものが常に信号を送ってきて気持ちを下げられます。
本当に当人にしてみたら、あれもこれも失ってしまった気持ちを痛みで毎回毎回逃げられずに過ごしているのだと思います。
人間は全ての人がそのうちこの世からいなくなるという平等な摂理があります。
事実、鎌倉時代の人は1人も残っていません。他人事ではないことを突き付けられる事実です。
恐怖に似たサイクルをみんな必ず経験して終えるという事ですか・・?
もしもそうなら私達は避けられない恐怖体験をしたくて生まれたことになります。
そんなわけがない。
そう私は振り払うように自分に言い聞かせていました。
これから両親を通して学ぶことなのかもしれません。
なぜ生きているのか?と考えるよりも
今日も自分の体温で羽毛布団が温められたぬくもりの中、ウクライナの人を思えばなんと贅沢で幸せな事かと感謝する朝でした。
今、この自分を包んでくれる自分の世界にありがとうという事の方が大切なのだと思いました。
ウクライナ人も「昨日まで普通に通勤していたのですよ」という事を言っていました。想像していなかったことが起こったと言います。
日本と同じ生活水準の人が家を捨てて持てるだけの手荷物で命を守るために去っています。
老いに心配や恐怖を持つよりも、今与えられている状態に感謝しよう。それが今日の答えとしました。スッキリ晴れた空に洗濯物を干して、カラッと洗濯も乾くでしょう。生渇きよりずっと幸せなことです。
里芋とごぼう中心の野菜を圧力鍋で煮たものと緑黄色野菜のゆでたブロッコリーを実家に届けながら背中をさすって来ようと思います。
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