涼しい日が続きましたが、今日はまた暑くなりました。
しばらく雨が降ったり太陽が十分に出ない日が続いたので、
当たり前が当たり前じゃないと気付く時
朝から洗濯機は一生懸命働いてくれました。
洗濯機が壊れた時、当たり前に「動かして」いたことがいかに有難かったか
ジーパンの脱水を自分でしてみて思い知りました。
本当に文明の利器って「力」だなぁ。
と自分の布を絞り上げる力の無さは
脆弱になった人間を象徴しているみたいに感じました。
本当に大変で水はタラタラと干した状態で滴り落ちていた感じです。
そして、修理をして普通にくるくる回っている普通に動く洗濯機に感激し、
感謝をせずにいられませんでした。
当たり前が当たり前じゃなくなる時、気づかされることがあります。
不自由は時に必要なのか
時折不自由になる事はもしかして必要なことなのかもしれません。
コロナウイルスに行動制限されている今の世界は
何を感じることになっているのでしょうか。
アフガンやミャンマーの社会情勢不安とコロナの話題が
並行して耳に入ってきます。
重い空気感と不自由さを味わっているのだと思います。
感謝を世界で共有する
無理やりポジティブに考えるとするなら、
生きるのに必要な平和、医療、食、娯楽、十分に与えられていた今までに感謝し、
それを支えてくれた人達の存在が当たり前ではなかったと噛みしめ感謝、
今自分は感謝しながら、これから先この地球でどう生きるのか?
問われているのかもしれないと感じています。
もっと自由に生きたい!
とみんな思っているに違いない経験を世界同時に体験しているように感じます。
地球は当たり前ではなく、奇跡の星だと教えられている
普段は惑星に生きている意識を持って過ごしていない人々が、世界に広がるウィルスや温暖化で起こる環境変化による災害の数々で地球人だったことを思い出されているようです。
いつのまにか境界線として国境ができてしまい、別々の意識で生きていました。
しかし宇宙から見たら国境という線はなく丸い惑星であると思うでしょう。
風や空気は国々を越えて、地球の上の空気をかき混ぜ太陽の熱と海の水蒸気で雲が育ち過ぎれば台風となり今までに経験したことが無い水害を繰り返す。
気温上昇によって乾いた空気は山火事を起こし、野生の動物の住処や食や命奪い焼き尽くすまで止める手立てがない。環境の問題は国境はなんのバリケードになるものではない事を教えているようです。
私達は奇跡の中にいたことが当たり前となり過ぎて感謝を忘れてしまいがちなのだと思います。
人間が経済活動することで奇跡は奇跡でいられなくなったのだと思うのです。
私達はこれからは地球人なのだと自覚を持って、国境を越えた捉え方を全ての人が学んでいるようにも感じられるのです。
当たり前、ありがとう。と感謝して生きたいです。