介護時代の心のもやもやは口角を上げて生きて行く

モヤモヤの理由

最近、私の両親、夫の父いろいろあり過ぎてモヤモヤしています。

義父は来月から特別養護老人ホームに入所することが決まりました。

義理の兄が今年の春に入院し、手術をしたことにより介護に自信を失い、

行政と相談した結果そのようになったと言うことでした。

また私の実家の方では、母の認知症が明らかに今年から進んだ兆候が見られ

履いていた紙パンツを水洗トイレに流して詰まらせてしまい高額な修理費を請求され、

父も疲弊している状態です。

父事態、重度な糖尿病で緊急入院をしてから介護2となり、

経過観察をしてもらっています。

それなのに

自分勝手な食べ物を購入したりしてしまったためによくなってはいません。

むしろ最近さらに体重が落ちたのではないかと医師が心配している状態です。

独身の弟と同居しているのですが食事の用意は困難なので、

糖尿病の療養食のお弁当を毎日2人分2食宅食に助けて貰っていましたが、

「まずい」と言う理由で1食だけに変更してしまいました。

当然食事を自分で用意する必要が出るため、

せっせと好きなものを好きなだけ購入していたのです。

老いては子に従えと思うこの頃

どこにも行けない父にとっては好きなものが食べられることが

唯一の楽しみだと言うことがわかります。

それは体調不良を起こすばかりか、

母よりも体力をなくし生活困難を自ら引き起こすこととなります。

しかし、いくら注意しても頑固に好きなものを食べさせてくれよと振り払われます。

私が何か作って届けても、食べずに腐らせることも多くありました。

そんな時は、好きにしたら~~という思いになります。

モヤモヤします。

確かに体を考えて調理すれば、味付けは薄く市販のお惣菜に慣れた父の口には合わないのだと思います。

しかし野菜が少ない生活を心配ですし食べないくても母の便秘を心配して届けています。

「老いては子に従え」という言葉が沁みます。

老いるという事実と共に生きる

最近人の命には限りがあり、

人の肉体も機能も、再生には限界があるのだと感じさせられます。

どこにも自由に出かけたり、自由に食べたりできないのだとしたら、

何のために残された人生を生きたらいいのでしょうか。

そんな葛藤を誰もが感じる時がやってくるのかもしれません。

両親や義父母の高齢世代の生死を見て切なくなります。

ただ、その時その時できることをやる。

この世に滞在できる期間は有限なので、出来ることをする。

それだけでいいのだと自分に言い聞かせています。

 

まずは、下がり気味だった口角を上げて暮らして行くよう心掛ける事にしました。

泣いても笑っても有限は変わらないのが生物の宿命。

自分が思ったことを1つずつやっていこうと思いました。

 

とにかく気分をうっかりすると簡単に落ちます。

だから気分を落とさないこと。口角を上げることがスィッチ。

1つの大切な修行として毎日気をつけていきたいと思います。