仕事をするもしないのも、稼ぐも稼がないも、自由選択のはず

家族に変化が起こると

私の変化のように感じる所があります。

実家の両親がコロナ感染ということになり、

勿論サポートをする生活となるのは

人間として子供として誰もがやることでしょう。

次にあるミッション

父が定期的に受診するはずだった大学病院に自宅療養で行けなくなり、

代わりに予約を取りに行きながら、

薬やインスリン注射に必要な針など備品をそろえに行く必要があります。

大学病院に朝から何時間も待ち時間で過ごさなくてはならないのです。

 

心が重い

予約をしているけれど、2時間3時間待つのは普通なのは大学病院。

気が重くなるのは普通だと思います。

そもそも、病院は楽しい所ではなく、なるべく行きたくない場所です。

こんなご時世だし、誰も行きたくありません。

 

しかし、長く時間かかるパターンのサポートは

私がやるだろうと、誰もが思っています。

 

兄、義理の姉、弟がいても私がやる事になります。

兄夫婦に担って貰いたいと言ってみたらいいのでしょうか。

 

いや、兄は不動産業を2人で営んでいます。

土日でさえ休みなんてありません。

それを知っていて言えません。

 

私は仕事辞めても良い環境に身を置いているのだから・・。

そう自分に言い聞かせながら、

自分を観察してみます。

 

私達は、生きている時間を自由選択で使えるはずだと思っている

仕事をしていないから、

そういう時間がかかる事は私がやるべきことと

自分も思っているのかもしれません。

 

でも、おかしいと思っているのだと思います。

仕事をせずに別の時間に使いたい人も同等で良いはずだと思っているのでしょう。

 

働いていることがどんな時も最高なことなのでしょうか?

 

あなたが、稼ぐという選択をして命を使っているのも自由

 

私が、稼がないという選択して命を使っているのも自由

そんな声が聞こえてきます。

働いているママと、働いていないママ

まるで、そう・・・、

同じ子育て中に

働いているママはPTAの役員を免除されても

働いていないママは強制的に役員をさせられるという

エピソードに似ています。

 

働いていないママは、

仮に貧しくても、住宅購入できなくても、

子育て中は、家にいてあげたいと言う気持ちがあったとしたら?

そんなママは尊重されないのでしょうか。

 

仕事してないなら時間があるでしょ?

役員お願いします。

 

働いていないママは、

役員をやるために

働いていない選択をしているわけではない時、

優劣があるのでしょうか。

 

むしろ、色々な物を得るよりも

優先して、あえて選択したのに?

働かない選択を侵害しているとは感じて貰えない風潮ありました。

 

とても似ている。

やりたい事をやる権利、

やりたい事はみんな違います。

 

そして、PTAでも、病院に代わりに行くにしても、

それらは自発的であることが望ましいと思います。

 

勝手に決めないで

尊重したらどんなアイディアがでるのでしょう。

 

 

 

自分で自分を労うこともできる

当たり前だと思われることが

悲しいと感じているのです。

 

人が動いてくれることに当たり前はない。

それを逆にこんな思いを感じて、学んだのかもしれませんね。

 

でも、「ありがとう。いつも代わりに行ってくれて」

・・・という暖かい言葉は欲しいものです。

 

自分で言おう。

 

いつもありがとう。

いつもあなたは頑張っている。

 

ありがとう!

 

 

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