お金が無いという小金持ち

今日は、実家の両親に何かする日に当てようと思い電話をしてみました。

すると、父は、清々しい朝にあれこれやる気満々のようで、

早々に母に電話を渡し電話口から去りました。

 

今日は私の出番はないのかな?

と思いつつ、認知症の母に

「車で何か買いに行きたいとか、ご飯食べに行きたいとかある?」と聞くと

「お金が無いから食べに行けないってお父さんが言ってる」と母が言いました。

「え?お金が無いって何よ。」

「うちはね、お金が無いから行けないよ」と言うのです。

「お金はね、無い無いって言っていると本当になくなってしまうからそんな事言ったらだめだよ」

と私が言うと

「そうかねぇ」と母。

財産が有っても視野に無い生活

私は父が自分の親の遺産相続しているのも知っていましたし、

母が実の兄の遺産相続しているのも知っています。

それに父の退職金が手を付けることなくあることもわかっています。

 

戦中に育った親はいくらお金が有っても

いくら物が有っても

「足りなくなる」思考に囚われている世代だとわかっています。

父は母を守るため、少しでも値上げによって支出が増えた事を

お金が減る、お金が無いと言っているのです。

物価高の恐怖が防衛本能を呼び覚ます

口癖のように急に「お金が無い」というのは

最近の物価高の恐怖がそう言わせています。

たとえば、玉子が今まで188円で買えていたはずなのに、

280円になってしまったとすると、

戦中戦後の物が買えなかった記憶が恐怖でチクチク騒ぎ出すのだと思うんです。

全体的に支出が多くなるイコールお金が無くなってしまう

という防衛本能がうずくのです。

 

父や母はもともと質素に生きているわけですから、

玉子が100円上がったとしても、

10個入っている玉子を2人で食べる100円です。

破綻するとは到底思えません。

 

新たに稼ぐことができない年金生活としては、

確かに減る生活なのはわかります。

しかし、年金の中でやり繰りで来ているということは、

年金支給日には魔法のようにまた振り込まれるわけで、

心配しなくていいのが現実です。

安心して生きて行けない後遺症のような思考

現状では全く変化のない体調の2人ですから

大きな支出はあり得ません。

むしろ同じ世帯より小金持ちの部類です。

でもそんな視野で見ていません。

 

玉子がいろんな事情で値上がりしている。大変だ!

自分達は脅かされている、

お金が減る、

以前よりお金が無くなってきた、

お金が無い。と考える。

もう、それは個人の「思考の中の世界」なのでどうにもできない。

 

本当はある。

沢山ある。

それを有難い

と安心して生きて欲しいと思うだけです。

 

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