年を取っても手を繋げる老夫婦になりたい

夫婦の仲も千差万別だと思います。
ご近所さんで人も羨む完璧な家族が離婚していた事もあります。

子供たちは最高峰の進路に進み、大手銀行の心臓部門にいるご主人の華麗な活躍を支える奥さんが眩しく映ったものでした。

同じ年の子を持つ身のコンプレックスだったと気付きました。人の家庭は分からないものでした。

どこよりも完成系の家族と見えたけれど、夫婦の仲はそうではなかった。

末のお嬢さんが社会人になった年に離婚というタイミングでした。

夫婦が添い遂げるというのは当たり前だと思っていました

ある友人が離婚したのはもう少し若い40超えての離婚でした。

モラハラに悩み離婚した友人です。
離婚の話し合いが年金分割で長引かせないため諦めての離婚でした。
年金分割は離婚してから2年過ぎるとできなくなります。

しかし友人は、少ない金額でもめ続けるのが嫌で要らないと言っていました。
50代になった今はどう思っているかわかりません。

新しく生きて行くために、古い友人たちとは連絡を絶つことにしたようでした。
私にだけ引っ越しの前の日にお礼の品を持って挨拶に来てくれました。

しかし私にも住所を知らせては貰えませんでしたし、私も聞きませんでした。彼女が知らせたいならメールでも出来る筈です。

彼女は知らない場所で新しく生きたいのです。ですから古い記憶である私からは連絡を取らないと決めています。

少し寂しいですが、彼女は夫婦仲が良い人が羨ましいと言っていました。

彼女にとっては「夫婦仲がうまく行かなかった」という事がコンプレックスがあるのだと思います。

私もかつて、完璧な家族を作り上げた近所の奥さんから距離をとったように、彼女も心の為に離れたいのだと思いました。

人の家庭は良く見える ~自分の人生に関りはない幻想だった~

彼女は生き直したいと思って熟年離婚を選んだのです。掘り返した話などしたくないはずです。

モラハラを受け続けた日々は大変だった事は知っています。
例えば、帰りの遅い夫に作った料理をなんとゴミ箱に皿ごと捨てられたりしていたのです。

幸い正社員としての道が出来たので離婚の道が開けました。

我慢して夫婦をすることが正解じゃないと感じました。今は幸せに暮らしていると信じているし願っています。

当たり前が当たり前じゃない、という事ですね。

私の理想の老夫婦

私は結婚当初から老夫婦が手を繋ぐ姿に憧れがありました。あんな風になりたいね。なれるかな?と夫にも話して来ました。

たまにそんな理想的な老夫婦に出会う事があります。

散歩している時、思わず後姿を撮らさせて頂きました。

お年を召してもスカートを履いているお婆ちゃんと穏やかにほほ笑むお爺ちゃんのカップルです。

本当に素敵です。スカートを履く「乙女」なお婆ちゃんを見るとキュンとします。心が変わらず少女を感じさせるのです。

私は子育て中からジーパンやパンツスタイルが多くなってしまいました。

その名残でスカートを履くのはよっぽどオシャレな場所に行く時以外履きませんでした。

でも、せっかく女性として生まれて来たのに楽しめるオシャレを狭めていたと気付き、最近は日常にも取り入れるようにしています。

結婚当初の夢だった、可愛いお婆ちゃんになり、いつまでも夫の優しい眼差しに見守られながら手を繋いでいたい。

そんな願いは、やはり変わらない私の普遍的な理想です。

可愛いお嫁さんになりたいと思ったのと同じように、可愛いお婆ちゃんになりたいです。そして、手を繋ぎたくなるような夫婦仲であり続ける事が夢です。

夫婦には色々な形がありますが、お互いがかけがえのない存在であれば結婚の意味があり、幸せなのだと思います。

苦しみと悲しみだけを感じる相手に変化してしまった場合は、結婚の継続の意味はなくなるのかもしれません。

幸福になりたくてした結婚は、自分を不幸にし続けるものともなり得ると友人を見て感じました。

慈しみ合える夫婦でありたいです

添い遂げたいと思えたら結婚は継続で、
肉体が衰えた老後の介護なんて御免だ!と思ったらお別れというのは目安にどうでしょうか。

多くの方ができれば穏やかにほほ笑み合える夫婦でいたいと思っています。
私もお互いを尊重して、慈しみ合える夫婦でいたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

ランキング応援頂けると嬉しいです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 主婦日記ブログへ
にほんブログ村

年の差10才散歩道 - にほんブログ村