飲食店でコロナが教えてくれた事

コロナが問題になるほんの少し前にオープンしたお店に友人の紹介で勤めました。
2020年1月に週5日3時間働く内容でスタートしました。
所が、間もなくコロナという未知のウィルスと世界中が戦う事となってしまいました。

オープンと共に試練のコロナ

その流れは、会食が感染リスクを上げるというものとなり外食産業を苦しめて行きました。
飲食店での宴会などもってのほかであり、飲食店も営業自体を自粛できないか?という事になって行ったのです。
緊急事態宣言が発令されて、サラリーマンが満員電車なしの仕事を手に入れつつ、
オープンしたてでありながら、営業どころか廃業の危機となっていきました。

そんな飲食店デビューからずっと繰り返されたコロナ状況でした。

そして緊急事態宣言解除しても、効率を極めた人件費抑制シフトが固定されました。

3人でしていた作業を一人でやることとなり、もともと肉体労働の不向きな私はあちこち痛みを持つようになってしまいました。

思った以上に肉体労働であることを感じながら、不向きだと感じながら続けていたのです。

コロナが私に問いかけたこと、教えてくれた事

そんな中、更年期のホルモンの変調が突然起こり、1か月出血が止まらないという経験で無理してはならないと警告を受けたように感じて、退職を決めました。

自分の体は代えのきかない唯一の乗り物で、自分が愛して選択してあげないといけません。
限界を感じる出来事は耳を傾けないとそれ以上に後悔する不調が出ては意味がありません。

そもそも、カフェ経営の可能性を模索するために飲食店業界の実態を勉強させて貰いに来ていたのです。
事務職ではわからない施設内も実態を見たことが無いので出来る範囲でお願いしました。

店長、マネージャー、色々立場的にお店を閉めない方法を模索して頑張っていました。
その打ち出されて行った経営方針が、私の体が付いていけなくなったという事です。
もっと、もっと力強い肉体を持っていたら違っていたかもしれません。

コロナは私に、「どんな事にも覚悟はあるのか?」と安易な気持ちかどうか確認してくれました。
私には、実際、人件費を削るために自分でアレコレこなしてみせる!という覚悟が全くないと炙り出されたのです。コロナが教えてくれました。

私は、やはり、カフェ巡りでお客として利用する方が幸せなのです。

最後の厨房に感謝を伝えました

昨日は、実働として最後の勤務の日でした。
ユニフォーム返却は後日として、最後の厨房でした。
一つ一つ作業しながら、こんな私を雇ってくれた店長に感謝の気持ちが出てきました。

そう、私は足が悪いのだから肉体労働の職に就くことなどできなかったのです。
それでも、重い作業だけはさせないように計らい続けてくれていました。

どんぶり勘定でありながら心配性な店長でした。
ですが、初めて入ったアルバイトさんにもやんわりと褒めて育てられる方でした。
私もそれで続けられたのかもしれません。

20年以上の付き合いの友人は、これからもパートリーダーとして頑張るようです。
厚生年金も加入し続けられるように、もっと多くのボリュームで仕事を週20時間を守る努力をして行くようでした。
私にとってみれば健康で丈夫な体の人は眩しい存在です。。

彼女とは、人生の中で共通な想い出を作れたと思います。
「あの頃はコロナで大変だったよね~、」なんて、懐かしく話せると思います。
良い体験に必ずなります。

最後の厨房の作業ごとに今までありがとう、と感謝しながら終えて行きました。

月末までにユニフォーム返却しに伺おうかなと思っています。
最後までご覧頂きありがとうございました。

 

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