家族の嵐の始まり3 ~父の血糖値は驚愕の700となっていた~

父がマスクを外した時に頬がコケているように見えたのが始まりでした。
とても気になり両親のかかりつけの病院の婦長さんにこっそり検査のお願いして発覚した重度な糖尿病。

血糖値が700ってどういうこと

正常が100の数値なのに500を超えていた事がわかり、大学病院へ紹介され即入院となりました。

入院の前に検査をするとなんと700という数値に更新されていました。

700って何?何の数字?

という感じです。数字の大きさが別の領域です。

Y医師「この数値で2週間続いていたらかなりまずかったですね。」

「ギリギリでしたね。」

私 「え~~???」「死んでもおかしくなかったですか?」

Y医師「(うなずく)」

私 「たまたま痩せたかな?と思って検査をお願いしていたからわかったんです」

Y医師「危なかったですね」

私 「・・・」

Y医師「血糖値が上がり過ぎると、自分の脂肪を燃やして行ってしまって痩せてしまうんです、

そこを娘さんが気が付いたという感じです。奥さん中心で薬を飲めていなかったようですね・・。」

驚愕、インシュリン投与4回が理想と診断される

Y医師「とにかくまずはインシュリンの投与が必要になります。

その後はご自身で注射の練習をして貰い、難しかったら薬で治療となりますが、

理想はインシュリン注射毎日4回です。」

私「4回ですか、凄い多いですね。聞いたことありません。それだけ重症という事ですね。」

Y医師「(うなずく)理想は1日4回のインシュリン投与、2番目の候補は、朝1回のインシュリン投与と朝昼晩と薬で管理です。そして3番目の候補は、薬のみという順番の選択になります。」

私「薬のみは3番手ですか。効果が下がるんですね。」

Y医師「薬は難しいのです。強過ぎると低血糖になってしまって、それで亡くなることもあります」

私「え~~・・!」

Y医師「入院中に模索することになります。」

という事で入院中に本人がどれだけできるのかで決まって来ると言っていました。

素人がやれる安全な物のはずだからやれなくないはずなのですが、どうかなぁ・・痛がりだから。などと思いつつ荷物を置いて入院となりました。

帰ろうとした所、「水買って来て、水!!」というオーダーを受けたので500ml、6本ほど購入して看護師さんに渡しました。

そんなに喉が渇くのね・・・。

看護師さんに、喉の渇きを強く訴えますが、水って無くなったら頂けますか?と思わず聞いてしまいました。

「水道水なら用意できます。」と当然と言えば当然な返事が戻ってきました。

父よ、日本のお水は飲めるのですよ。無くなっても安心してください。

取り合えず、24時間安全地帯にいるのですから一安心です。

取り残された母は緊急避難的に我が家で見守りとなる

そもそも父は問題ない人として、見守り要員でしたがその父がいなくなれば、母を保護するように我が家に一時避難となりました。

兄は養子に入り、義母とも同居していますので仕方ないです。

実家で待たせた母を迎えに行きながら、母愛用上掛け布団と枕、洋服、デイサービスに必要なあれこれを車に押し込んで引っ越しです。

我が家のリビング隣の和室で過ごして貰います。畳を替えたばかりで良かったです。

私のベットマットレスで寝て貰います。

コロナで共倒れしないように、夫と離れて寝るために2階のベッドから下ろして使用していたものです。

母は腰が痛いなどがあるので、マットレスを譲る事にして私が客布団を使いました。

認知症がある為、初日の夜は和室で2人で眠りました。

夜中にトイレや水を飲みたい、などがあるかもしれません。

まさか、母と2人で眠る日が来るとは思いませんでした。

蛍電球を付けて眠ると、あっという間に母はイビキをかきながら眠ってしまいました。

まあ、別の家じゃ眠れない、などと言われるより良いかなと思いました。

こんな感じで父の入院中、母との共同生活が始まりました。

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

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